俺が最初にそれを見たのは、フォグト魔術師の研究室に向かう途中だった。
なんだろうと尋ねると、先日の王宮でピュックラーに化けていた魔将ゲザリウスが正体を現し、大きな爆発が起きたの際に、その衝撃で壊れたポーション用の蒸留器だという。てかこの世界、蒸留器があったんだな。
香水もあるし、そりゃあるか。相変わらず変なところが進んでるな。と、その時は思っただけだった。
再度思い出したのはマゼルが魔王を倒し、王太孫の生誕祭に向けての準備の最中。無限にも思えるワインの数を数えていた時だった。
――そういや蒸留器があるってことは、あれが作れるんじゃないか?
とは思ったが、この忙しい時にそれを試している余裕はなく、思い付きを脳内にメモするだけに留めていた。
実際できたのはさらに数か月後のこと。フォグト魔術師に仲介してもらい、ポーションを研究している魔術師に話を聞くことができた。学園の方でもよかったかもしれないが、ちょっと作るものが作るものだったので、学び舎は避けたかった。話が漏れたらやらかす奴が絶対出る。
「はぁ、ワインを、ですか?」
ここで、「何言ってんだこいつ」と言う顔をされるのもだいぶ慣れた。フォグト魔術師がわかる。と言うような顔をしている。うん、いろいろ変なことばっかり聞いて悪かったな。
それはそうと、今日俺が聞きに来たのはワインの蒸留をしたことがあるかどうかだった。要するにブランデーだな。前世でブランデーの歴史は結構長くて、始まりは十三世紀だったかな? ペストが流行ったころにどこぞの錬金術師がワインを蒸留したものを不死の霊薬である|命の水《アクアヴィテ》だっつって売ってたっていうものだ。
その後、宗教戦争のころに船で輸送途中でワインが酸っぱくなってしまいそうになったところで泣く泣く蒸留したら美味かった。と言う。その後、ちゃんと生産されるようになったのはさらに百年ほど先になる。
この世界、例の策略のせいで科学の先駆けともいえる錬金術がいまいち発展していない。そのせいか、酒はワインとエール、一部地方でアップルシードルってところだ。要するに醸造酒がメインで、蒸留酒はまだまだない。加えて他大陸と交易って話もないから、発明されるタイミングもないのかもな。わざわざ普通に飲めるものをさらに加工しようとは思わないのだろう。
加えて魔王と言う災害があったから、大規模な感染病とかもなかったんだろうし。あぁ、これも考えないと。そういう意味では消毒に仕える高純度アルコールは必要だな。
胡乱な眼差しを受けながらも、一応、発想に実績があるということになっている俺の言葉を受け入れてくれたらしい魔術師に、ツェアフェルトからワイン樽を持ち込むことで話を付けた。
ら、実験の時になぜか実験の場にセイファート将爵がいた。なんで? と言う感情が表に出たのか、セイファート将爵はニヤリと笑みを浮かべた。
「卿が面白いことをしそうだと聞いてな」
「別に面白いわけではないんですがね」
そう言いながら運んでもらったワイン樽からワインを洗浄した蒸留機に入れてもらい、蒸留する。何とも言えないアルコール臭が部屋中に充満する。換気換気。酒が弱い奴はこれだけで酔うぞ。そうこうしているうちに、やがて透明な液体がぽたぽたとビーカーの中に滴り落ちていく。
「ポーションと同じだとすると、最初と最後のものはあまり品質が良くないので、ひとまず別にしておきます」
「あぁ」
そう言って魔術師がビーカーを入れ替える。ビーカーを渡してもらうと、なんとなく記憶にある香がするような気がする。ワインとは別物だが、まだ薄い。最後のものをまた別のビーカーに分けたところで、もう一度蒸留してもらう。まだ少し紫がかっていた液体が、もう一度蒸留することでさらに透明に近づいていく。
「ひとまず今回はここまでで」
量はだいぶ少なくなったなぁ。と言うわけで、味見するつもりで一口。
「ぶへっ!?」
「ヴェルナー様!」
「げほっごほっ、だ、だいじょ、げほっ」
思わず吹き出した。慌てるノイラートに大丈夫と腕を上げながら咽込む。
「こりゃ、なかなかきっついな。まだ若いヴェルナー卿では無理じゃろ」
「げほっ、ごほっ、しょ、将爵は」
同じくグラスを受け取ったセイファート将爵が片眉を跳ね上げながらそう言った。ちくしょう、言い返せねぇ。いや、俺だけじゃなく恐る恐る味見したシュンツェル、ノイラート、魔術師たちも咽たりしているので、将爵が強いんだと思う。
しかし、実際これじゃ味がとがりすぎてダメだ。飲めるようにするには熟成しないとな。と言うことで、ワインが入っていた樽に戻してもらう。
そのままそっと、城のワイン貯蔵庫に将爵の口利きで置かせてもらうことになった。屋敷に持って帰ってもよかったんだが、「楽しみじゃのう」と、ウキウキしている将爵に何も言えなかった。
「半年ごとに様子を見ながら、ですかね」
多分最低でも一年は熟成しなければいけないだろうが、それを言うわけにはいかないのでそう言っておく。
さらに別に持ち込んでいたシードルも蒸留したり、シードルの樽にワインの蒸留液を入れて保存したりなんかをした後、この会は終了した。
その後はどれだけ蒸留を繰り返せるとか、純度を高めると|燃える水《スピリタス》ができるとか、強すぎるアルコール度数の酒を飲んで魔術師が急性アルコール中毒でひっくり返ったとか、 まぁそんな副産物や騒動があったものの、無事に除菌効果的なのが発見されたのだった。
そして半年後。
「ほう、これがあれか」
驚いたわい。と、将爵は半年寝かせた蒸留酒を飲んでそう言った。なんとなくうん、味が丸くなった気がする? 相変わらずきっついのだが。でも色はあんまりつかないんだな。あの琥珀色はなんか別ので色付けてるんだろうなぁ。それが何かは知らん。
ちなみに今回は典礼大臣である父も試飲に参加している。父が酒に強いという話は聞いたことがないんだが、大丈夫だろうか? ま、まぁ特にお咎めとかはなかったのでいいだろう。
「また半年後が楽しみじゃのう」
ウキウキしているセイファート将爵に父が「そうですね」と言っているのを聞きながら俺も頷いた。
さらに半年、仕込んでから一年後だ。なぜか宰相と王太子殿下が増えている。あの……?
「セイファート将爵がなにやら楽し気でな」
「新しい産業になりそうだとお聞きしまして」
そんなこと知りませんが? とにかく、ぎくしゃくしながらノイラートとシュンツェルがグラスに入れた酒をそれぞれに配る。毒見の意味もあって先に口をつけるのは俺だ。
まず、ふわりと鼻先で香るブドウの香り。アルコールの刺激はまだ強いが、ほのかに感じる甘み。水や炭酸と割るなら十分だろう。まぁ俺にはきついのはきついだが!
そうこうしていうちにセイファート将爵が飲んで「おぉ、ずいぶん美味くなった」とか言い始めている。それを見てお二人も口にする。宰相は思った以上にきつかったのだろう。吹き出しそうになったのを慌ててノイラートが水の入ったグラスを差し出した。王太子はケロッとして「ほう」と言う顔をしていた。
「かなり酒精は強いが、なかなかだな」
「は、水や炭酸で割るとまた飲みやすいかと思います」
「さらに熟成するとまた味が変わるかもしれんなぁ」
そう言って今度は水で割ったものを配る。これなら、と宰相がほっとしたように呟いた。
続いて、シードルを蒸留し、熟成させたもの。ワインをシードルで熟成したものをそれぞれ味を比べ、どれが好きだなんだという話をそれぞれ意見を交換し始めた。うん、ブランデーのアルコール度数は7から50度程度だったかな? ワインが12度程度だったはずなので、少なくともそれよりは高い。……大丈夫かな。
「ヴェルナー」
「はい」
父である典礼大臣が近づいてくると、急に俺の頭をわしゃわしゃとかき混ぜ始めた。
「ち、ちちうえ?!」
「おまえは、またどうしてこういう。かしこいのはいいのだがもうすこしかんがえてからこうどうしにゃさい」
「父上? 父上!? 酔ってますね?!」
なんてこったい。実の父親が酒に弱かった! いや、飲みなれない酒だっただけだろう。慌てて殿下たちに視線を向ければ、全員が図ったように背中を向けてくれていた。お気遣い感謝いたします!
ひとまずノイラートとシュンツェルに父を介抱してもらう。俺は俺でぐしゃぐしゃになった髪を何とか手櫛で整え、会をお開きにする。
「なかなか楽しい一時だった。あとで届けてもらえるか?」
「わしのところも頼む。シードルの方がいいかのう」
「私のところもお願いします」
口止め料ですね。わかります。と、お三方にうなずいてお見送りをしました。父が正気に戻ったのはその一時間後。頭を抱えていましたが、俺からは何も言えませんでした。
その後のその後。ツェアブルクの方でワインから作るのだけではなく、初めから蒸留酒用に作ったブドウ汁を蒸留する方法を研究。さまざまな改良を続けた結果、十数年後には豆、紙に続く第三の名物が加わるのだが、それはまた別の話。
さらに数十年後、かつて王太孫であったルーウェンの治世にて、成人した王太子の生誕祭でヴェルナーから彼が生まれた年に仕込んだというブランデーが贈られ、また振舞われたことがきっかけに、一気にその名が知られることになるのだが、まだまだ遠い未来の話である。